上神野のある「神野真国」とは平安時代からの「荘園」の名。このあたりは今もなお「荘園」の単位が残っている興味深い地域でもあります。
紀伊国の北部は全国的にみても特に荘園が集中していた地域で、高野山金剛峰寺など大寺院の存在と紀の川沿いの豊かな穀倉地帯としての生産力がその背景にあったと考えられています。
神野・真国荘は院政期に鳥羽院の荘園として立券され、のちに京都の神護寺の荘園となりました。平安時代の絵図が 残っているというのは全国的にもきわめて珍しいもので、中世からの痕跡ののこる貴重な里でもあります。
12世紀の荘園絵図にも描かれている荘園の中心となる鎮守社。 伊予の海賊的首領河野氏の氏神がともに祀られています。 合祀されている恵比寿社は「紀伊国名所図会」に描かれている 神野市場の市神だったと考えられます。長く神仏習合で満福寺 の大般若経ももとはここに奉納されていました。
紀美野町野中493
山根バス停下車
境内自由
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中世は「市場」といってもそこに恒常的な市場があった訳ではなく、 月に何度かイベントのように市がたつ「定期市」のことでした。市は周囲の物産だけでなくさまざまな藝能が集う場でもありました。紀美野町の中心部の地名にある「神野市場」には古くから実際に市がたち、 その起源は鎌倉時代まで(!)さかのぼります。現代も神野市場はこの地域の商業の中心で21世紀のいまも地域の最寄りのコンビニはここにあります
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日本では中世・鎌倉〜室町時代から「頼母子(たのもし)」という貸し借り金融のしくみがはじまっていましたが、全国的にその最も古い記録がここ神野市場での金銭トラブルの記録だったりします。
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毎年 11 月に神野市場の紀美野町文化センターで紀美野町農林商工まつり「柿の市」が開催され、名産の柿を求める人でにぎわいます。会場ではタネ飛ばし大会や藝能の上演などもあり。鎌倉時代もこんな変わらぬ賑わいがあったのかも。