室町時代後期、日本列島には幕府も戦国大名も介入出来ない「百姓のもちたる国」がいくつか出現しました。山城国では土地の有力者たちが支配者を追放し宇治平等院で自治が行われ、加賀国では阿弥陀信仰を持つ門徒たちが本願寺を中心に強力な宗教勢力を形成し 100 年近く存続しています。

そしてなかでも最も強力な存在だったのが紀州の「惣国」でした。鉄砲で武装した海賊的な 集団である雑賀衆はヨコに連携し「紀州惣国」をつくりだし、さらに武装した根来衆や粉河寺、 高野山などが戦国大名の 力を跳ね返していました。

鉄砲が種子島で「南蛮商人」から日本にもたらされたのはよく知られていますが、その後鉄砲は紀州の根来寺 ( 岩出市 ) に伝わり大量に生産されました。堺や国友といった生産地を通して驚くべき早さで日本列島に急速に広まったのでした。根来寺には土佐の足摺岬や薩摩の坊津に末寺があり、海賊的な商人とのネットワークを持っていたのではないかと考えられています。上神野特産品のシュロは今では高級なほうきとして価値を知る愛用者にその美しさが賞賛されていますが、戦国時代には火縄銃の導火線(火綿)に使われていたとか。

悪魔に対する崇拝と信心に専念している紀伊国なる別の一国がある。そこには、宗教団体が四つ五つあり、 そのおのおのが共和国的存在で、いかなる戦争によっても滅ぼすことが出来なかったのみか、ますます大勢 の巡礼が絶えずその地に参詣した。」( フロイス日本記 )



戦国時代に日本を訪れた宣教師たちは紀伊の国を「異教の共和国」と呼びました。そして驚くべきことに天下を目前 とした秀吉とも最後まで戦ったのでした。こうした状態 を可能にしたのはやはり雑賀衆や根来衆と鉄砲の存在 だったと思われます。