上神野では茶をはじめさまざま種類の薬草茶が栽培され飲まれています。そしてこの地域の茶の食文化といえばなんと言っても「茶粥」。朝ごはんには米から茶粥を炊くのが伝統的な朝ごはん。古い家にあるかまど「へっついさん」には、煮炊きをする釜とお茶を湧かす釜との二つがあるのだとか。この地域の茶粥の特徴としては「粉茶」を焙じて使うこと。奈良や他の地域では番茶を使い粉茶は使わないようです。
「うえみなみ」などの民泊に宿泊すると熱々の茶粥の朝ごはんを高野山の山々の絶景の中で味わうことが出来ます!
●紀州には新しい食や文化を日本に伝えた偉人がずらり!
遣唐使が廃止されて以降には大陸との交流もとだえたように思われがちですが、平家の主導する民間貿易や、特に仏教を通したつながりはまた新しい形の文化を日本列島にもたらしました。
密教の新しい潮流、禅や念仏といった最新の流行も留学僧からもたらされるようになりました。 そうしたムーブメントの中で、上神野はさまざまな食材が日本に入ってきた食文化創造のストーリーとの国際的なゆかりも持っています。
●茶の開祖 は明恵上人?
日本に茶が伝来したのは鎌倉時代、意外なところで茶の伝来は上神野 ともまた意外なゆかりを持ってます。宋に渡った日本の禅宗の開祖とされる栄西が茶を持ち帰った訳ですが、その苗を譲り受けて日本ではじめて栽培したといわれるのが神護寺の僧明恵上人。明恵上人は栄西から茶の苗を譲り受け、京都栂尾高山寺に日本ではじめての茶畑を作ったと伝えられています。明恵上人は茶どころ宇治では「茶の開祖」と考えられています。
茶をはじめ饂飩、そうめん、豆腐、納豆など鎌倉時代から室町時代にかけて大陸から留学僧たちがさまざまな食材を持ち帰り、日本の重要な食文化を作っていきます。重源の次の世代の中心人物が宋の径山寺に留学した心地覚心(法燈国師)でした。彼が紀州の人々に伝えたのが径山寺味噌(金山寺味噌)といわれています。法燈国師にはアニメチ
ックな伝承が多く、野
上八幡宮の神官の娘の
病気を祈祷で治した際
に八幡神と問答をする
という話が伝わってい
ます。
旧上神野村の拠点となってきたお寺。明恵上人が高野山にのぼる途中自念仏を安置したのが開基と伝えられる。山里の風情がなんとも美しいお寺。
紀美野町三尾川420
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三度も宋にわたったという重源上人。泉福寺には重源上人が残した安永二年 (1167)「勧進入唐三度上人重源」の銘のある鐘を見ることが出来ます。重源は源平合戦に焼亡した東大寺大仏殿再建の活躍で知られ、「知識結」と呼ばれるネットワークを各所に持っており、宋の技術者や西日本各地の木材技術者のネットワークを駆使していたと言われています。
紀美野町長谷宮684-1
9:00~17:00
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野上八幡宮には法燈国師の像を祀った開山堂があり、神仏習合のなごりをみることが出来ます。法燈国師にはアニメチックな伝承が多く、野上八幡宮の神官の娘の病気を祈祷で治した際に八幡神と問答をするという話が伝わっています。
紀美野町小畑623
八幡宮バス停下車
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茶摘み体験は初夏の人気里山交流イベント!お茶やさまざまな薬草茶豊富な上神野はハーブな茶どころ。茶摘み体験も人気です。